Philippines

第7話 ナイトマーケット

ナイトマーケットに行こう

メガネくん
メガネくん
シンさん、ナイトマーケットいかない?

バギオに来て数日が経ったころ、この語学学校で私がいちばん仲良くしているメガネくんからの誘いがありました。

[メガネくん]

すでに数ヶ月バギオに滞在している彼はバギオの街を知り尽くしていて、毎週水曜日の夜間に開かれる『ナイトマーケット』がアツいと言うのです。

貧乏バックパッカーの私は『ものを買う』などしたくありませんが、どうしても欲しいものがありました。

それはあったかい服です。フィリピンといえば南国の代名詞のようなイメージがありましたが、標高が高いバギオの街はここが東南アジアだということを疑うほどに寒かったのです。

時期は7月上旬で、日本やフィリピンが位置する北半球はこれから本格的に夏がはじまるというのに、地元の人でも長袖を着るほどの寒さ。

それなのに私はTシャツしか持っていません。

シン
シン
荷物少ないほうがかっこいい
荷物少ないほうが真の旅人

日本を出る前の準備段階からバギオの情報は得ていたので長袖などいくらでも用意できたはずでしたが、私の間違いすぎているこだわりによりパーカーやウインドブレーカー的なものはすべて排除されてしまいました。

しかし緊急で肌を保護しなければ近いうちに風邪を引きそうな気がするので、メガネくんの誘いに乗りナイトマーケットへ行くことにしたのです。


仲の良い面子でいつも遊びの計画を企てていました。

メガネくんのほかに、自習室の隣の席であるさっちゃんや同期のドンキくんもその中に含まれます。

[さっちゃん]
[ドンキくん]

さっちゃん
さっちゃん
わたしも行くよ
ひひひ
ドンキくん
ドンキくん
俺もぉ!ナイトマーケットぉ!行くっすよぉ!

そしてもうひとり。

学校に在籍中の生徒にバックパッカーがほとんどいない中、りょうちゃん(26)というすでに40カ国を旅してきた生粋のバックパッカーがいました。

[りょうちゃん]

りょうちゃん
りょうちゃん
もちろんわたしも行くよ!
そういうのすごい興味あるんだよね!
ワクワクするぅ〜!

世界中を旅してきて、いまさらフィリピンのマーケットに目を輝かせる彼女こそが真の旅人であって「荷物少ないとイケてる」などとスタイルにばかり囚われている私はただのアホ、旅人失格なのです。

女だからっしょ

日本人5人でタクシーに乗り、メガネくんの案内でナイトマーケットへ向かいます。

メガネくん
メガネくん
ひとり15ペソだって
シン
シン
てことは35円くらい⁉︎
すげえ!
さっちゃん
さっちゃん
ひひひ安いね

りょうちゃん
りょうちゃん
わーい!メガネに渡すね!
ドンキくん
ドンキくん
やべぇっす!
俺ぇ!金持ってくんの忘れてきたっす!
誰か50ペソだけ貸してほしいっす!
メガネくん
メガネくん
50ペソでなにが買えるんだよ!
ドンキくん
ドンキくん
タクシー乗れるっすよぉ!
さっちゃん
さっちゃん
アホだ〜
ひひひ

学校と学生寮があるエリアからバギオの繁華街までタクシーで20分ほどで到着しました。

マーケットは思っていたよりもはるかに大きく、人と物で溢れています。

果物が腐ったような、肉が腐ったような、魚が腐ったようなニオイが充満していますが、私は人生ではじめて見るアジアのマーケットに興奮を隠せません。

ドンキくん
ドンキくん
あぁ…いいなぁ…
金さえあったらなぁ…

マーケットに行くのに金を部屋に忘れてくるという信じられないミスを犯したドンキくんに100ペソを与えました。

ドンキくん
ドンキくん
いいんすかぁ⁉︎
いいんすかぁ⁉︎
あざす!

100ペソを握りしめてどこかへ消えていったドンキくん。

さっちゃんとメガネくんも特に買うものがないからと、屋台のほうへ行ったようです。

残った私とりょうちゃんはふたりで衣類が売っているエリアへ向かいました。

りょうちゃん
りょうちゃん
シン
パーカー買うんでしょ?
って震えてんじゃん!
シン
シン
そうなんだよ!
今日は特に寒いでしょう⁉︎
早く冬服を手に入れないと凍えてしまう!
ブルブルブルブル!
ブルブルブルブル!
りょうちゃん
りょうちゃん
オッケー!
私に任せといて!

そう言い残した彼女は私が目星をつけていた青いパーカーの値段交渉に入りました。

パーカー屋のおじさん
パーカー屋のおじさん
300ペソだ!
安いだろお嬢ちゃん!
りょうちゃん
りょうちゃん
お願いお願い!
ディスカウントプリーズ!
おねが〜い♡
スリスリスリスリ!
パーカー屋のおじさん
パーカー屋のおじさん
んもうっ!
お嬢ちゃん!
かわいいから負けたよ!
80ね!
シン
シン
ななななんと!

「これまでどうやって旅してきたんだ?」と不思議に思えるほど英語が苦手なりょうちゃんですが、ほぼ日本語しか喋っていないのになんと80ペソ(200円弱)まで値切ったのです!

りょうちゃん
りょうちゃん
ほら!安くなったよ!
着てみて!
あらー!?
いいじゃ〜んあんた〜!
似合ってんじゃ〜ん

『まだお母さんに服を買ってもらっているやつ』みたいな感じになってしまいましたが、物も悪くないし信じられないくらい安くなったので私は大満足でした。

シン
シン
ありがとうお母ちゃん!
あったけぇよ!
りょうちゃん
りょうちゃん
お母ちゃん?
パーカー屋のおじさん
パーカー屋のおじさん
なんだよ男が着るのかよ
金返せチッ

去り際に服屋のオヤジが不服そうな顔をしていましたが、気にせず今度はりょうちゃんの買い物に行きます。

久しぶりの『袖』を得た私はお返しとしてりょうちゃんが狙っていた800ペソの靴の値段交渉に挑みました。

しかし「断固拒否」という姿勢を崩さない店番の男。

靴屋の男
靴屋の男
……

首を横に振るだけで話すら聞いてくれません。

シン
シン
ダメでした!!

りょうちゃん
りょうちゃん
そっか
じゃあわたしが行ってくる

私が諦めて戻ると、りょうちゃんは自ら値段交渉へ。

シン
シン
無理だと思うよ!
そのひと頑固者だから!
なんか機嫌も悪そうだしね!
たぶんいぼ痔かなんかだと…
りょうちゃん
りょうちゃん
300ペソでいけたー
シン
シン
なにぃ⁉︎
800が300!?

信じられません。

さすが世界を旅した女です。

これまで何度もこういう経験をしてきたのでしょう。

洗練された彼女の値段交渉術には言語を超えた未知の能力が宿るのです。

りょうちゃん
りょうちゃん
女だからっしょ
便利だよ〜あははは

シン
シン

男の私!

今後彼女のように旅をできる自信がありません!

ゲテモノ

買い物を終えたりょうちゃんと私はほかの3人と合流しました。

食べ物の屋台が立ち並ぶエリアの適当な場所を見つけて1本ずつビールを飲みました。

そこでさっちゃんが信じられない提案をしてきたのです。

さっちゃん
さっちゃん
ねぇみんなでゲテモノ食べない?虫!昆虫!
せっかくだしさ!
ひひひひひひ!
メガネくん
メガネくん
おれ興味あるかも
りょうちゃん
りょうちゃん
わたしもー!
シン
シン
さぁ〜て…
そろそろ帰りますか…
ドンキくん
ドンキくん
そうですねぇ…
日も暮れたところだし…
さっちゃん
さっちゃん
コラ〜!
シンくんドンキくん!
来る前から日は暮れてたよ!
行くよ!

虫など絶対に食べたくない私とドンキくんですが、多数決からは逃げられず言われるがまま『ゲテモノ売り場』へ行くはめになりました。


まず我々が食したのは『カブトムシの幼虫』みたいなやつです。

一応全員クリアしましたが、私、メガネくん、ドンキくんの男性陣はすでに限界といったところ。

「興味あり」とカッコつけていたメガネくんにいたってはすでに涙目です。

りょうちゃん
りょうちゃん
うん!
いけるいける!
味が良かったら見た目は気にしないんだよね!

意味不明な発言をするりょうちゃんは余裕を見せています。

さっちゃんは食前に

さっちゃん
さっちゃん
おいしそう!

と発言し、連続で3匹食べています。

次に食べたのは『タガメの唐揚げ』

シン
シン
ほぼゴキブリですやん!

口に含んでみたものの、噛む勇気が出なかった私はギブアップ。

メガネくん
メガネくん
ゴキブリの味がする…

かじったあとにそうささやいたあと、どこかへ消えたのはメガネくん。

ドンキくん
ドンキくん
エビみたいっすね!

と強がってドンキくんはなんとかクリアしました。

さっきは幼虫を食べていたのに

りょうちゃん
りょうちゃん
虫は無理!

と意味不明なことを言うりょうちゃんは手も付けず。

さっちゃんは食前に

さっちゃん
さっちゃん
おいしそう!

と発言し、連続で3匹食べています。

最後にバロットと呼ばれる『孵化する寸前のモロのヒヨコが入っているゆで卵』

シン
シン
か…顔があるよ⁉︎

フィリピン名物のひとつということで先立って私が購入しましたが、見た目のグロさに耐えることができずメガネくんにパスしました。

メガネくん
メガネくん
あ…足があるよ⁉︎

そしてメガネくんも同じ理由からドンキくんにパス。

先ほどさっちゃん以外で唯一ゴキブリを食べたドンキくんは、気合いを見せて一口かじりましたが

ドンキくん
ドンキくん
クチバシ!
クチバシっす!
クチバシ食っちゃいましたよぉ!

と叫びりょうちゃんにパス。

りょうちゃん
りょうちゃん
ドンキくんが口付けたから無理!

と違う角度の理由で拒否するりょうちゃん。

バロットはフィリピンでは普通の食べ物らしいのですが、私たち日本人にはもちろん馴染みがありません。

卵の中のクチバシ、羽、足などがもはや完全にひよこなのです。

そして「生まれる前に茹でた」というなんだか残虐な感じがする調理法。

そのストーリーも相まってなかなか口に運ぶのは厳しい代物でした。

さっちゃん
さっちゃん
美味しい〜!
親子丼の味がするよ!

普段学校ではおとなしめのさっちゃんの意外な一面を見て驚く我々。

さっちゃん
さっちゃん
みんなお腹いっぱいなの?
ひひひ

「なぜみんな食べられないのか分からない」といった表情で、さっちゃんはバッタ売り場へ行ってしまいました。

『変わってる人』とはこういう人のことです。

私もたまに人から「シンって変わってるよね」と言われますが、それを聞いて「そうっすかねぇ」とまんざらでもない気持ちになるので、それは『普通の人』なのです。


帰りのタクシーで、チラチラこちらを見ているドンキくんに気づきました。

シン
シン
そういやドンキくんなにか買ったのかい?
ドンキくん
ドンキくん
ふっふっふ!じゃ〜ん!
これ!
シンさんにあげます!
シン
シン
なにこれ
メガネくん
メガネくん
なにこれ
りょうちゃん
りょうちゃん
なにこれ
さっちゃん
さっちゃん
可愛い!

信じられません。

特に何か買う必要がなければ、お金はそのまま握っておくか返してくれればよかったのに!

なのに金を貸してくれた私にお返しをしたかったとのことで、謎の木彫りの置物を購入していたのでした。

シン
シン
いいやつだ!
キミはほんとにいいやつだけど!
マジでいらない!


この日は服を買って虫を食べた以外にもビールを飲んだりJolibee(フィリピンのファストフードチェーン)に行ったりと、かなりお金を使ってしまったように思っていました。

しかし日本円にして1,000円も使っていなかったことに気づいた私は、これまで感じたことのなかった感覚に陥ってしまったのです。

ゴールを見据えていない無計画のバックパッカーであるため苦しい貧乏生活を余儀なくされるはずが、ここでは日々の支出をあまり気にする必要がないのかもしれないと感じていました。

この時のバックパッカー歴は数日といったところ。
むしろ学校に通っているので、旅はまだはじまっていないのかもしれません。

いかに安く次の日へ命をつなげられるかを意識しはじめた時に、この考えが堕落した生活に変換されていくのです。

この危険性にまだ気づくことのできなかった私は、さらにギアを上げ『遊び』に行くようになってしまいました。