大葉さん
人生が私をなめてるんです!
だからこそ今のうちに世界を見にゆくのですよ大葉さん!
目的も無く26歳にして海外へ行こうとしている私に、大葉さん(31歳無職)はたいへん呆れておられます。
元バックパッカー旅行者である彼は、以前私が正社員として働いていた飲食店で爆安の時給でアルバイトをしていた男です。
当時は立場を重んじる性格からか5つも年下の私に対して丁寧な敬語を使い、さらに「シンさん!」と呼んでいました。
東日本大震災をきっかけにその会社をやめてから約2年。
その間私の人生において何の影響も及ぼすことのないこの男を思い出すことはありませんでした。
しかし急にバックパッカーへの衝動に駆られた私は、海外経験の豊富な大葉さんに相談するために会いに来ていたのです。
月日を経て当時の私への敬語はなくなり、私への呼称が「シンさん」から「シンくん」へ降格していました。
イチから教えて欲しいんです
私のような凡人が海外に行くために必要なことを!
シンくんの頼みなら教えてあげるよ
ちょっとだけね
店で働いていた時の立場や関係性がまるっきり逆転したような妙な違和感が感じられましたが、歳上の彼に対してムッとする道理もないし、そんなことを気にしている場合ではありません。
その時の私にはバックパッカーになるしか残されていなかったのです。
思春期
2年前、2011年3月11日。
これ見て!
仕事の合間にアルバイトの大学生に津波の映像を見せてもらい、地震の規模を知りました。
家や車や土砂とともに津波に流されていく『飲食業への情熱』をハッキリと見てしまいました。
月間450時間、休日ゼロで働き、月給は14万円。
ブラック企業すぎる会社での勤務により、頭がおかしくなっていたのでしょう。
どうやら社畜としてただひたすらに労働し続けることを『情熱』だと勘違いしていたのです。
そのことに気付いた私はある決意をしました。
震災のあった3月の末日付けで逃げるように退社。
私は24歳にしてグレることにしました。
いささか遅咲きではありますが、知人に「私はグレる」と言いふらしなんとロックバンドを結成。
高卒(実質中卒)の粗末な脳で一生懸命考えた結果「グレるならバンドっしょ!」以外の進路が見つからなかったのです。
ロック
それから2年間はそれなりのロックンローラーとして、それなりにライブをしたり、それなりに酒を飲んだりしていました。
また形から入るタイプの私は、寒い日でもレザージャケットだけで夜の街を歩いたり、サングラスをしたりしていました。
と人から言われようが
と人から言われようが、スタイルを崩すことなくそのバンド中心の生活を楽しんでいました。
しかし、いわゆる『青春時代』の年齢のほとんどを飲食業に費やしたこの私。
24歳で自由になった解放感の裏に、それまでの自分の視野の狭さを見てしまっていたのです。
飲食時代と比較するとあまりにも簡単に金が稼げることや、無限に存在するともいえる様々な生き方があること。
そしてそのうちいくつかには自分も参加できるかも知れないことと、そのうちのいくつかに参加するにはもう手遅れなこと。
居酒屋やレストランの厨房に引きこもって、似たような給料明細と似たような人間しか見てこなかった私は世の中のことを何も知らなかったのです。
飲食を辞めて他の世界をはじめて知った私は、まるでいじめの被害者のような疎外感を日々味わうこととなり、決意を表明しました。
ダサい音楽活動や退屈な生活から来る自己嫌悪は、血が布にゆっくりと染みていくようにじわじわと私の心を損わせていました。
そしてついには3.11の震災後とそう変わらない気持ちになりバンドを辞めることにしたのです。
人間生活の軸というものは仕事であると思いますが、飲食業を辞めたあとはその『軸』を保つことに焦っていました。
Yeah!
と言える熱も才能もなかった私は、中途半端な生活と音楽活動に堕落を感じていたのです。
仕事もせずに毎日パチンコばかりで酒浸り、借金は膨らみ、住処は完璧なゴミ屋敷といった表面的堕落ではありません。
私の苦しみは希望や志やプライドのない、虚無の生活を許してしまっている精神的堕落だったのです。
消極的フットワーク
私のように「負け」の人生を歩む者ならばわかることでしょう。
という消極的なフットワークを。
そうやって勝負事やリスクを伴う挑戦をひたすらに拒み逃げ続けた結果、バンド活動を辞めた私は26歳してついにやるべきことがわからなくなってしまったのです。
人生ってこんなにわからんもんですか⁉︎
数学くらいわからんぞ!
しかしあの地獄の飲食店の記憶がまだまだ残っていたため、就職活動などする気になれません。
私はこれまでに面接で30件の不採用をくらうほどの社会不適合者。
さらに4つもクビになるほどの無能です。
そこらへんのアルバイトですらそうなのです。
「面接」「履歴書」!
好きな言葉は
「半額」「無料」!
普通ならば将来のことを考えて真っ当な人間を目指すべきなのですが、3.11のあとに決めた
という不真面目な決意が邪魔をして、しばらく路頭に迷っていました。
しかしそんな私に転機が訪れます。
と急に私の脳みその中にいる誰かの囁きが聞こえてきたのです。
どちらさんですか⁉︎
好きだった料理と音楽をやめた私が他に興味があることといえば、幼少期からの憧れである『日本を出てみたい』それ意外にはありませんでした。
2010年代に入り手元の端末であらゆる情報がいとも簡単に入手可能になった時代。
それまで不可能と信じて止まなかった海外生活に対して「貧乏旅行なら私にもできるかもしれない」という発想に辿り着いてしまったのです。
少ない荷物で節約しながら世界を見て歩く。
どうやらそれは『バックパッカー』というらしい。
急に思い立った私は仕事を休み、予定していたバンドの練習も放棄してバックパッカーというものを調べました。
しかし当時のインターネットでの情報収集ではイメージが湧かなかったので、経験者の声を聞くべくその日大葉さんに電話をかけたのでした。
シンちゃんは独身だし彼女もいなかったよね?
守るものは自分の命だけか
枷も負荷もないなら思いっきり旅してきなよ
1時間ほどで大葉さんの私への呼称は「シンくん」から「シンちゃん」へ変化を遂げていました。
私の海外への熱が彼に伝わり親近感が増したと見えます。
大葉さんはこれまでのバックパッカー旅行やワーキングホリデーでの生活の話をしてくれました。
そして自身の失敗や学びから、あらゆることを細かく教えてくれました。
その日の帰り道。
久しく感じることのなかったワクワクと、見知らぬ土地へ自ら身を投じることへの不安を大いに感じながら、埼玉の北部にある大葉さんの自宅から東京方面へ車を走らせます。
いつまでも景色の変わらない夜の17号線の中に私が見ていたものは、有名な観光地や煌びやかな海外生活ではありません。
また壮大な大自然やカラフルな建築物でもありませんでした。
ごちゃごちゃした汚い商店街やボコボコの道路。
物乞いの少年や危険な野良犬。
現地でのリアルな生活と人々を私はハッキリと見ていたのです。
埼玉の奥地の木造のボロアパートに住む無職の大葉さんは最後に言いました。
その時に必ず何かが見つかる
眉間にシワをよせ、遠くを見ながら低い声で私への最後の助言。
「あれ気に入ってんのかな?」と、その言葉を思い出しながら私は車の中で笑ってしまいました。