Philippines

第20話 渋い男とマスタードホテル

[2013年9月3日23:00]

約2時間のフライトを経て台北からクラーク国際空港へ到着しました。

9月10日のマニラ-シンガポールの航空券を捨てたくないがために戻ってきたのです。

乗客はほぼフィリピン人でした。

外国人は自分だけかなとまわりを見渡してみましたが、ひとりだけ白人のバックパッカーがいるくらいです。

ここフィリピンは7,000以上の島で構成されていると言われていて、国内どこへ行くにも飛行機か船しかありません。

バスや列車で移動したがるバックパッカーにとっては『旅先』としての人気はあまりないのかもしれません。

無事に入国審査を終えて台湾で計画した通りに動きます。

シン
シン
さあどこのベンチで寝ようかな?

お先真っ暗

ナンシー
ナンシー
これいらんやろ
こういうのの積み重ねで荷物が重くなるんやで

先日のナンシーとの断捨離により、ふたつ所有していたモバイルバッテリーまで手放していた私は完全に『電源難民』と化しています。

シン
シン
ベストはベンチの近くにコンセント
ベンチよりも電源優先だ

地べたで横になる覚悟もある私は空港内をウロウロしてみましたが、ベンチや電源どころか人がまったくいなくなったことに気付きました。

さらに「ガタン!ガタン!」と大きな音を立てながら、照明が奥のほうから順番にゆっくりと消えていきます。

シン
シン
これから寝る私のために電気を消してくれているのかい⁉︎

もちろんそんなことはなく、私が乗ってきた便を最後にこの空港は営業終了だったのです。

空調も止められたようでじんわりと蒸し暑くなってきた時に、警備スタッフのような人間から空港の外へ追い出されてしまいました。

旅客全員が空港を出たところでついにすべての照明が落とされ、寝るつもりだった空港は完全に閉まってしまったのです。

シン
シン
これ…ヤバいかも

同じ便だったのであろうフィリピン人は慣れた様子でバスやタクシー、お迎えなどで空港を離れていきます。

シン
シン
バックパッカーはどうすればいいの⁉︎

そこにはわずかな灯りすら無く、いま立っている場所がどんな場所なのかも分からないほどの暗闇。

怪しいバイクタクシーの呼び込みの声と犬の鳴き声だけが聞こえてきます。


りょうちゃん
りょうちゃん
海外はどこも空港まわりの治安は悪いと思ってたほうがいいね


世界を旅してきたりょうちゃんの言葉が蘇ります。

1分後の予定も決まっていない私はどうすればいいのか分からず静かにパニックになっています。

シン
シン
あの入国審査に並んでいた白人のバックパッカーはどこにどうやって行ったんだろう
そのへんにいないかな?

同じ外国人だというだけの赤の他人でさえも頼りにしたいほど恐怖を感じてしまいました。

シン
シン
とにかくこの場から離れなければ!
でもどこに?どうやって?
ここよりもそこは安全そうですか?

そうやって呆然と立ち尽くしていると、乗り合いバスの呼び込みの男が現れました。

乗り合いバスの運転手
乗り合いバスの運転手
へい!へい!どこまで?

街の中心部で宿を探したいことを伝えました。

乗り合いバスの運転手
乗り合いバスの運転手
はあ?なに言ってんだよ!
このバスはゲートまでだから!

そのまま流れで乗り合いバスに乗ることになってしまいました。

シン
シン
どこまで?って聞いてきたくせに行き先決まってるのかよ!

意味もわからず私はぎゅうぎゅう詰めで乗り合いバスに乗りました。

もう空港には私以外に野良犬くらいしかいなかったのでそうするほかないのです。

乗り合いバスはしばしば停車して少しずつ人が降りていきます。

シン
シン
よくそんなところで降りれますね…

ほんの数メートル先も見えないほど真っ暗な場所で人は当然のように下車していくのです。

私はゲートとやらに着いてからどうするかを考えるとにしました。

ゲキシブ

見覚えのある灯りが近づいてきてきました。

シン
シン
ジョリビーだ!

フィリピンのファストフード店のJolibee(ジョリビー)です。

バギオに住んでいた時に何度か行ったことがありました。

バスのヘッドライトが照らす先しか見えないまさにお先真っ暗の状態の私は、馴染みのあるジョリビーごときに親近感が湧いてしまったのです。

シン
シン
すんません!
ここで降りまーす!

ゲートとやらに到着する前にジョリビー前で降りてしまいました。

シン
シン
うんうん
お腹すいてるっちゃすいてる
きっとすいてる

「ここで降りたのは決して間違っていない」ということを自分に言い聞かせるように空腹を確認し、ジョリビーの入り口に向かいました。

不安そうにキョロキョロしていると駐車場にたむろしているバイクタクシーの勧誘が近づいてくるかもしれないので「私ここよく来るんですよね」みたいな顔で入店。

しかし、私は目を疑いました。

店内すべての椅子はテーブルの上に乗せられており、数名の店員がモップがけをしていたのです。

ジョリビーの店員
ジョリビーの店員
ノーノーノーノー!
今日はもう閉めたから!
はい出て行って!
シン
シン
なにぃ⁉︎

まただ!

後先考えずに動いたばっかりにまたミスを犯してしまった!

外に出ると5〜6人のバイタクの男たちがニヤニヤとこちらを見ています。

「ジャパニーズ?どこ行く?ホテル?女?マッサージ?ベリーチープよ~!」

もはや顔がそう言っています。

「嫌な感じだけど彼らになんとかしてもらうしかないか」と決めかけていたところ、長髪の30代くらいの背の高い男がタバコを吸いながら私の目の前に現れました。

バイタク連中とは違って、大柄な見た目にも関わらず彼には不思議と威圧感のないあっさりとした渋い雰囲気がありました。

[ゲキシブ]

ゲキシブ
ゲキシブ
やぁこんな時間に何してんだボーイ?
シン
シン
ボーイ⁉︎

私から2メートルほど離れた場所にゆっくりと座りました。

そしてゆっくりとタバコを吸いながら渋い低めの声で話しだしました。

シン
シン
…激渋の男だ
ゲキシブ
ゲキシブ
おいおいそんなに構えるな
ここは安全な地域パンパンガだからリラックスだぜボーイ
まあ夜は危ねぇやつもいるけどな
はっはっはっ
シン
シン
なんかこの人
しっぶ〜い

不思議と安心感のあるその激渋男に「夜中に台湾から到着して、空港で寝ようと思ってたら閉まっちゃって路頭に迷っている」ということを伝えました。

ゲキシブ
ゲキシブ
そうかそりゃ困ったなボーイ
空港って閉まるんだな
はっはっはっは
台湾か…行ってみてえな

ゲキシブの落ち着いた話しぶりに緊張がほぐれます。

ゲキシブ
ゲキシブ
そうだ
ここらへんのバイタクには気をつけろよ
ここはアンヘレスっていう町で、外国人が集まる有名な風俗のストリートがあるんだけど、そこに連れて行かれるかもしれない
シン
シン
へ〜そうなんだ
治安が悪いの?
ゲキシブ
ゲキシブ
ボーイがそういうのが好きなんだったら行けばいいけど、見た感じバックパッカーの旅人だろ?
そこの連れ込み宿は外国人のキミでもひょっとしたら高いかもしれないんだってこと
シン
シン
そうなんだ
知らなかったよ
ところであなたはなんの人?
ゲキシブ
ゲキシブ
俺か?俺は仕事してねぇよ
ジョリビーに飯食いに来たら閉まってやがった!
それだけだ!ははははは!
シン
シン
世の無職の中でいちばん渋い

ゲキシブと出会い、体の力が抜けてなんだかホッとした私。

しかし現状はなにも変わりません。

時間はすでに24時を過ぎていました。

ゲキシブは電話で誰かと現地語で話しはじめ、そのままゆっくり立ち上がってどこかへ行ってしまいました。

バイタク連中は相変わらずこちらをニヤニヤ見ています。

記憶の中の人
記憶の中の人
シン知ってたか?
世界でいちばん日本人が殺されている国はフィリピンだ

私の古い記憶の中の誰かの囁きが聞こえてきます。

理由はいろいろとあるだろうし、なんでもなさそうな普通の街をここまで警戒する必要はないのかもしれませんが、私も日本人だということだけは確かなのです。

このまま適当に歩いたとしても歩いた先に何があるのか想像もつかないため、ただただ座り込んでボコボコに割れたアスファルトの地面を見つめます。

シン
シン
朝になれば視界が開けてなんとかなるはず…
このまま朝までこのジョリビーの駐車場に座り込むか?

正常な状態とはいえない思考になったころ、どこかに行ってしまったゲキシブが戻ってきました。

ゲキシブ
ゲキシブ
俺の友達の親がやってる宿があるんだ
さっき電話したらまだ起きてるから泊まるなら来ていいんだってさ
どうだボーイ?
そこ行ってみるか?

シン
シン
わざわざ電話してくれたんですか!?

なんてついてるんだ!

私の失敗だらけの珍道中でたまに現れる、台湾のカクガリやナナフシのような『宿の世話男』とフィリピンでも出会ってしまったのです!

ゲキシブ
ゲキシブ
いくらか知らないけど、どうせ高くはねぇよ
400ペソ(900円弱)かそこらだな
シン
シン
それは安い!
行きます行きます!

ギラギラ目を光らせているバイクタクシーのドライバーよりも、まったく目の光っていない無職のゲキシブのほうが何倍も信用できるような気がしました。

無職の所有物とは思えないほど立派なネイキッドバイクのうしろにバックパックを背負ったまま乗り込みました。

シン
シン
ヘルメットしなくていいの?
ゲキシブ
ゲキシブ
持ってねえよ

粒マスタードのニオイがする

近くにマクドナルドがあったため、一旦そこでゲキシブと食事をすることになりました。

シン
シン
お礼として私が払いますよ

しかし彼は半分忠告するように「俺はそんなんじゃねぇんだよ」と、頑なに自分で払うと言って聞きません。

シン
シン
なるほどこの男はお金持ちの家庭に生まれたから無職でもこうやって外食できるんだ

彼のバイクも決して安いものではないはずなので一旦はそう解釈しました。

しかしiPhoneでもスマートフォンでもない、電話機能だけしかないようなボロボロの携帯電話を持っていたためそうでもないようにも見えます。


食事を終えると『友達の親の宿』とやらに向かいました。

5分ほど走ると真っ暗で灯りも少ない場所にバイクは停まりました。

ゲキシブ
ゲキシブ
着いたぞボーイ
シン
シン
こんなところに宿があるのか?

大きな木が何本か生えていて日当たりが悪いのか地面はびちょびちょ、何年掃除していないんだろうと思えるほどゴミが落ちていて、生ゴミのニオイがしています。

通路の壁にペンキで小さくHotelと書かれています。

ゲキシブに連れられて『ほったて小屋』のような場所に行くと、老婆がひとり薄暗い中でスマホをいじっていました。

ゲキシブは現地語でスマホ老婆と話しています。

相変わらず消え去ることのない不安感の中、じっと立っているとゲキシブがこちらを振り返りました。

ゲキシブ
ゲキシブ
300だってさ
部屋見て決めたほうがいいんだろうけど、めんどくせぇしいいよな?
ははは
どうせこの値段ならボロくて汚ねぇよ
ははは
シン
シン
やっす!
もちろんここに泊まります!
ありがとう!
ゲキシブ
ゲキシブ
ここは受付だけの小屋で各部屋は独立してるんだ
ボーイの部屋は庭の先の「Room1」だ
これが鍵

英語が話せないはずはないのですが、夜中に私が現れて機嫌が悪いのかひとことも口を開かないスマホ老婆。

私はゲキシブを通して300ペソを彼女に渡して、ゲキシブを通してルームキーを受け取りました。

入り口の不気味な雰囲気に「これヤバいところに連れて行かれないよね?」と一瞬ゲキシブのことさえも疑ってしまいましたが、無事に宿を確保することができました。

シン
シン
なんとかなった
ほんとにありがとう!
ゲキシブ
ゲキシブ
はっはっは
いいんだよ
困ってたからな
じゃあなボーイ

いくらお礼を言っても足りないと思い、去ろうとするゲキシブを呼び止めて、ポケットに入っていた100ペソ札(200円)を差し出しました。

シン
シン
チップだよ
受け取りたくないかもしれないけど本当に感謝してるんだ
ほら、400って聞いてたけど300だったからこの100ペソはもらってほしい
ゲキシブ
ゲキシブ
んんんんん〜

ゲキシブは少し困った顔をしながら唸っています。

「金のために助けたわけじゃない」
「100ペソくらいで喜ぶと思われたくない」

ゲキシブなりのプライドがあるのか、彼の気持ちは分かりませんが最終的には笑顔になり受け取ってくれました。

ゲキシブ
ゲキシブ
こんなつもりじゃなかったんだけどな、でもこれは受け取ったほうがクールな気がするよ
じゃあなボーイ
フィリピンを楽しんでくれ
シェイシェイ!

最後まで渋い男はその場を去って行きました。


ゲキシブと別れて恐る恐る部屋に入ります。

まず部屋には鍵がかからず、渡されたルームキーの意味を考えさせられました。

ベッドマットはシミだらけで、粒マスタードのような異臭を放っています。

床には蟻が這っていて、壁には蜘蛛の巣も確認しました。

ピンク色の壁紙はいたるところがボロボロに剥がれていて、無数の落書きがありましす。

とりあえず汗だくなのでシャワーを浴びましたが「山の湧き水かな?」と思うほど水圧が弱くシャワーヘッドからチョロ…チョロ…と垂れてくるような感じ。

さらに衝撃を受けたのはトイレです。
穴が空いているだけなのか、少し外が見えています。

まるで「こんなホテルは嫌だ」のお題の回答をふんだんに取り入れたような部屋に私は笑ってしまいました。

シン
シン
いいだろう!
こんなこともあるさ!
マスタード臭に包まれて寝てやろうじゃないか!

セキュリティだけはどうにかしたいところですが、いつか使えるかもと思ってバックパックの奥底に仕込んでいた自転車用のワイヤーロックがここで役に立ちました。

[1:00]

シン
シン
最後にシェイシェイって言ってたな
ゲキシブ

台湾人だと思われていたことに自分の英語力がまだまだだなと少しだけ反省しながら眠りにつきました。